

農人橋詰町の店舗明治25年頃には、株式および公債の銘柄数が増えて取引高が増大した。 それとともに、両替店で両替のかたわら、株式、公債の売買、あるいはそれを専業に扱う店がしだいに増えてきた。 初代徳七も、長男信之助(徳七)の助言で、まず公債の取り扱いを手掛け、30年ごろには現株のブローカーと定期の取り次ぎをも行うようになった。 そして、有価証券現物売買という文字を上部に横書きにし、その下に諸公債証書、諸会社株式、各種債券、旧金銀貨幣と並列に縦書きし、左端に「野村商店」と書いた看板を掲げるようになった。 信之助は、この時点ではまだ家督を継いではいなかったが、商売上のことでは明らかに、信之助の時代が到来していたといえよう。