1968年

日本初の時価発行増資

~時価発行の定着に尽力~

日本楽器製造による
時価発行増資の決議公告
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日本楽器製造による
時価発行増資の決議公告

1967年(昭和42年)の資本自由化以降、海外投資家が日本の株式市場に影響を与えるようになりました。当時、日本企業の多くは株式を額面で発行しており、配当も額面金額を基準としていました。そのため、投資指標として「配当利回り」が多く用いられていました。

 

一方、海外投資家は配当よりも利益成長に着目し、主に株価収益率(PER)で投資判断を行っていました。その結果、海外投資家が好む成長企業の株価は、配当利回りでは説明がつかない水準に上昇しました。これにより、日本でもPERに基づく投資判断が広まったのです。

PERの普及は日本企業の資金調達に影響を与えました。1968年(昭和43年)、日本楽器製造(現・ヤマハ)は額面発行に比べて一株あたり利益が薄まりにくい時価発行増資を日本で初めて実施したのです。野村證券は、幹事証券として本件をサポートしたのを皮切りに、時価発行増資の定着に尽力しました。