1980年

「中期国債ファンド」開発

~公社債ビジネスの積極展開~

ボンドMIS

日本の国債は、第一次石油危機後の不況を背景に1975年(昭和50年)に発行額が急増しました。野村證券は支店に「国債コーナー」を設置。新聞広告やテレビCMを積極的に打つなど、個人向け販促活動を展開しました。1976年(昭和51年)には金融機関向けに公社債ポートフォリオ管理システム(ボンドMIS)を開発。金融機関の運用ニーズに沿った提案を行い、公社債流通市場の拡大に貢献しました。

中期国債ファンドのパンフレット

1978年(昭和53年)、満期が2~4年の中期国債が登場しましたが、毎年大量に発行される国債を販売し続けるのは、相当な企業努力が必要でした。そこで野村證券は、好利回りの自由金利商品として米国で注目されていたMMF(マネー・マーケット・ファンド)を参考に、中期国債などを組み込んだ投資信託「中期国債ファンド」を開発。1980年(昭和55年)より募集を開始しました。

「1カ月経てば、手数料なしで換金可能。利回りは1年定期預金並み」という業界初の商品性が評判を集めて大ヒット商品となり、MMF(マネー・マネージメント・ファンド)やMRF(マネー・リザーブ・ファンド)など、その後の高流動性商品の先駆けとなりました。野村證券は、国債保有者のすそ野拡大という点で経済発展に貢献しました。